姫路城 内濠めぐり

 世界文化遺産・国宝・姫路城 ~400年を経て現存する城郭建築の最高峰~

 慶長14(1609)年、徳川家康の女婿・池田輝政が9年の歳月をかけて完成させました。輝政は築城とともに城下の町割にも着手。天守の建つ姫山を中心に、左回りに三重の渦巻き状の(ほり)(堀)を穿(うが)ち、内曲輪、中曲輪、外曲輪を区画、町全体を外濠で取り囲む「総構え」としました。ついで元和4(1618)年、本多忠政が西の丸・三の丸を造営・整備して、総仕上げをおこないました。

 国宝の連立式天守をいただき、白漆喰総塗籠が白鷺の名のごとく優美さを演出しています。城郭建築の技術が最も発達した時期に造られ、400年の歳月を経て現存している世界的にも希有な木造建築。「人間の創造的才能を示す傑作」と認められ、平成5(1993)年に世界文化遺産に登録されました。国宝8棟、重要文化財74棟。

姫路城内濠めぐり 
パンフレットを表示【クリック】

姫路城・東西南北 内濠めぐり スポット・ガイド

 スタート JR姫路駅(なびポート)


コース図 【拡大表示】
1 キャッスルビュー 三重の濠のうち、外濠はこの辺りを東西に通っていました。濠の総延長は、おおよそ12.5㎞。外濠より内側の面積は、233㏊(約70万坪)ありました。
2 中ノ門筋
 外濠にかかる飾磨津門から中ノ門に至る大通り。明治36年に御幸通りができるまで、姫路のメインストリートでした。
3 長壁神社
 姫山の鎮守とされる、刑部親王とその王女の富姫を祀っています。旧藩主・榊原政岑の故事に因んで、毎年6月に行われる「ゆかたまつり」は、多くの人々で賑わい、初夏の風物詩となっています。
4 札の辻
 中ノ門筋と西国街道との交差点。江戸時代、高札は西南角に立っており、その西に「お夏清十郎」のお夏の生家・但馬屋があり、街道沿いに東へ行くと、本陣・国府寺家の屋敷がありました。
5 中ノ門跡
 中曲輪南面にある五門のうちの中の門。中濠より内側が世界遺産のコアゾーン、広さは107㏊(約32万坪)。この辺りの中濠は昭和の初めに埋め立てられ、国道2号線になりました。
6 家老屋敷跡
 姫路藩酒井家筆頭家老・高須隼人の屋敷跡。東の道から、正対して見上げる天守の眺めがすばらしい。
7 イーグレひめじ屋上
 姫路城の全景を一望できる、絶好のロケーション。姫路城は、姫山・鷺山という小山の上に建てられた平山城。大天守の高さは、海抜91.9m(姫山45.6m+天守台14.8m+天守31.5m)。
8 大手門
 姫路城の表口。江戸時代は、桜門、桐二門、桐一門を配置し、厳重な二重枡形門でした。現在の大手門は、旧桐二門の位置にあり、昭和13年に新築されたもの。手前の桜門橋は、江戸時代の木橋をイメージして平成19年に築かれました。内濠には、姫路藩和船「はりま」が復元されて、観光運航しています。
9 三の丸
 姫路城大天守は、5重6階(外から見ると5階建、内部は地上6階地下1階という構造)。安土城と同じく望楼型ですが、そのもっとも進化した富士山のようなスタイル。機能的装飾というべき破風が巧みに配置され、外観の気品は他に類がありません。
三の丸広場には、江戸時代、向屋敷と呼ばれる数寄屋風の屋敷が建っていました。南西には一時期、本多忠刻と千姫の下屋敷「武蔵野御殿」があり、切込(きりこみ)()ぎの石垣が残っています。西の高台には藩主の居館(本城)がありました。
10 大柱(三の丸北)
 大天守は、地階から6階の床下まで、高さ24.6m、根元直径95cmの2本の大きな柱が通っています。東の大柱は築城当時のまま1本ですが、西の大柱は2本接ぎ合わされています。昭和の大修理で取り替えられた西の大柱を展示しています。
11 羽柴時代の石垣
 菱の門東方の石垣は、野面(のづら)積み、羽柴時代のものです。上山里下段も野面積みの古式石垣。天正9(1581)年、黒田官兵衛が秀吉に命じられて普請に関わっていました。
12 帯郭櫓~帯櫓下
 池田時代に築造された(うち)(こみ)()ぎの石垣。算木(さんぎ)積み・()り・輪取り・気勢(きお)いなどの構築技術が手に取るようにわかります。帯の櫓下の石垣は城内でもっとも高く、23.32m あります。
13 搦手門
 表の大手に対して、裏口が搦手(からめて)。姫山公園口「との四門」から石段の坂道が屈曲して「二門」へ、さらに「一門」へと続きます。「との一門」は漆喰ではなく、古風な素木造であり、現存最古といわれています。
14 姫路神社
 旧姫路藩主酒井氏の祖・酒井正親が祭神。酒井家を慕う旧藩臣・旧領民が明治12(1879)年に創建しました。昭和2年現在の位置に遷座し、昭和36年に歴代藩主を合祀しました。酒井宗雅公之像碑文「松風傳古今(松風古今に伝う)」。
15 寸翁神社
 姫路藩家老・河合道臣を祀っています(寸翁は晩年の号)。19世紀の初め、姫路藩は73万両もの負債をかかえていました。文化5(1808)年、道臣が42歳のとき、藩主・酒井忠道から財政再建を命じられました。道臣は木綿の専売システムや新田開発などの産業振興をすすめ、27年かけて負債を完済しました。河合寸翁像碑文「無心帰大道(無心なれば大道に帰す)」。
16 喜斎門跡
 大天守に近い東口にあるので、濠を屈曲させて防御に備えています。風のない日には、内濠に天守が映ります。
17 姫路市立美術館
 アンティークな赤煉瓦造り。明治時代に陸軍の兵器支廠・被服倉庫として建てられました。戦後は姫路市役所になり、昭和58(1983)年に美術館として生まれ変わりました。夜になると、城周辺では、石井幹子さんデザインによる光の演出を楽しむことができます。
18 兵庫県立歴史博物館
 世界的にも著名な建築家・故丹下健三氏が姫路城をモチーフにして設計。昭和58年4月に開館しました。白い外壁は石垣を、空調用の換気口は狭間をイメージ。マジックミラーによってたえず変幻する天守群を建物の中に取り込んでいます
19 シロトピア公園
 天守群を真北から見ています。唐破風付のロの渡櫓が、右に乾小天守、左に東小天守をつないでいます。
20 清水門跡
 かつてこの辺りは水が豊かで、清水が湧き出ていました。名水「鷺の清水」に因んで名づけられました。
21 鷺の清水
 播磨十水に数えられる名水が湧く井戸の遺構。ある時、藩主・本多政朝が江戸で自慢したところ、京の名水「柳の水」と比べてみようということになり、ともに茶をたててみると、甲乙つけがたかったそうです。
22 北勢隠門
 勢隠(せがくし)曲輪(姫山公園)の北口。江戸時代は清水門とつながっていました。公園から見上げる姫山樹林越しに、西の丸の櫓群が見え隠れしています。
23 南勢隠門
勢隠曲輪の南口で、略式の枡形門になっています。勢隠を守る重要な位置だけに厳めしい構えの門だったようです。
24 好古園(西御屋敷跡庭園)
姫路市制100周年を記念して平成4年に造営されました。9つの庭園群で構成される、池泉回遊式の日本庭園。御屋敷の庭にみる、流れ瀧・大瀧は必見。点在する灯籠・竹垣が風趣を添えています